アラフィフいろいろありすぎ

精神の病を抱えて人生の道を彷徨うアラフィフ。中年アラフィフが何をどこまでできるのか

Photo No.216

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Fujifilm X-E2 + AUTO RIKENON 55mm F1.4

久しぶりのデジタルの写真。オールドレンズ

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さっきブログを書いたばかりなのだけど、ちょっと書こうと思っていて忘れていたことがひとつだけあったので、忘れないうちに記しておく

今朝通勤の電車のなかで、女子高生が「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいた。いや、正確に言うと、タイトルは「The Catcher in the Rye キャッチャー・イン・ザ・ライ」と、英語とカタカナ表記との併記だった

そこでふと思った。今は「ライ麦畑でつかまえて」じゃなくなったのかなあ、と。自分も高校生くらいの時に読んだ記憶があるこの本。よっぽどその女子高生に「この本の邦題はライ麦畑でつかまえて、なんだよ」と伝えたかったアラフィフの自分

そもそも「ライ麦畑でつかまえて」というのも「訳」としてはちょっとニュアンスが微妙な気がしていた。「The Catcher in the Rye」は直訳すると「ライ麦畑で捕まえる人」ということになる。これは作品中に出てくる言葉から来ていて、これは自分もぼんやりとしか覚えてなかったのでWikipediaからの抜粋だけど、こんなかんじ

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」

これがタイトルの「The Catcher in the  Rye」なのだけど、自分としてはこの小説のテーマ(大人の社会やインチキに対する反抗、そういうものと折り合いのつけられないなかで感じる孤独感など)というか、ざっくり言うと雰囲気とでもいうか、それを考えた時に「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルは、やはりこれがベストなんじゃないか、と、まあそんな事を、通勤途中の電車のなかで考えていた

という話でした

ちなみに、昔むかし翻訳の勉強を少しだけしたことがあるのだけど、あれは非常に難しく、キリスト教全般について、英語圏文化について、日本語について、そしてもちろん英語について精通していかないと本当に難しいものだというものは理解している

例えば日本の大物政治家が和服で白足袋を履いているシーン、これは直訳するとWhite socksになるけど、そうすると英語圏のイメージでは「女子学生」みたいな印象を与えてしまう。そこで翻訳では白い手袋「white gloves」とすると、すっかり大物フィクサーの様な印象になる

そんな風に文化やそこに住む人たちの慣習なども知らないと、いわゆる「翻訳」という作業は難しい、とその本には書いてあった。作者の意図するものを別言語の人たちに伝える「翻訳」というのは、そういう作業だと

と、これはまあ、数十年前に読んだ本の受け売りなんですけどね