アラフィフいろいろありすぎ

精神の病を抱えて人生の道を彷徨うアラフィフ。中年アラフィフが何をどこまでできるのか

Stage of the ground

僕の大好きなBump of Chickenの曲で、最近よく聴いている、というか、聴きたくなる曲が、この「Stage of the ground」です

この曲は歌詞を見るとわかるのですが、本当に「人生の応援歌」という感じで、聴くことで僕自身を奮い立たせてくれるというか、元気をくれる曲です

この曲はずいぶんと古い曲ですが、いつ聴いても古さを感じることもなく、新鮮です

Stage of the ground / Bump of Chicken(作詞作曲 藤原基央

その歌詞を、自分なりに解釈?してみたいと思います

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飛ぼうとしたって 羽根なんか 無いって
知ってしまった 夏の日
古い夢を一つ 犠牲にして
大地に立っているって 気付いた日

 

青春時代、いやそのあとだって、夢を持って生きてきて、でもそれがどうしても叶わないことなんだ、って気づく瞬間、ってあると思います

僕は高校生の頃は、作家になりたかった。あと、翻訳家。そのために英語も猛勉強していました(今は忘れて日常会話もおぼつかないけど)

そうやって諦めて来たことの積み重ねがあって、今の自分がある

そのことに気づくことも、また大事なことですよね

 

未来永劫に 届きはしない
あの月も あの星も
届かない場所にあるから
自分の位置が よく解る

 

いろんな解釈がありそうですが、僕はこの「未来永劫に届きはしないあの月もあの星も」は、やはり自分の諦めた夢をさしているんじゃないかと思います

そしてその夢が届かない場所に場所にあるからこそ、今の自分の立ち位置というか、ダメだった自分、報われなかった自分、というのが、夢をモノサシの起点にして理解できる、というふうに感じます

 

飛べない君は 歩いていこう
絶望と出会えたら 手をつなごう
哀しい夜を越えて 笑おうとするなら
唄ってやるよ ルララ

 

ここの部分は、とっても藤原さんらしい歌詞だと思います

「飛べない」というのは、最初の「飛ぼうとしたって羽根なんか無いって」にかかっているのだけど、飛べない、ってわかった。でも人生という時間は進んでいく。飛べなくたっていいじゃないか、それなら歩けばいいんだ、と

「絶望と出会えたら手をつなごう」は、その失敗、挫折、砕けそうな心をちゃんと向かい合ってしっかり自分自身で受け止めろ、っていうことでしょう。そういう自分と向き合わないと、いつまでたっても先へ進めない、そこに取り残されてしまう。だから、手をつないでいくのです

そうして、そんな絶望や諦め、希望を失ったような時でも、前を向く気持ちを持って、顔をあげて笑おう、と藤原さんは言っているのではないかな、と

そんなキミに、唄ってやるよ、と

「ルララ」が僕はとても好きです。藤原さんは以前テレビか何かで言っていたように思います。どんな言葉より、ラララ、とかそういうメロディが持つ力はすごいんだ、みたいなことを。そこに感情がしっかり入る、と

 

迷いながら 間違いながら
歩いていく その姿が正しいんだ
君が立つ地面は ホラ
360度 全て 道なんだ

Stage of the ground

 

人生は間違いの連続です。うまくいってばかりの人生のように見える人だって、その人のなかでは後悔や悩みみたいなものがあって、どんな人生も紆余曲折。順風満帆の人なんていない。「迷いながら間違いながら歩いていくその姿が正しいんだ」と藤原さんは言います。それでいいんだよ、と。迷ったって間違ったって、人生は進んでいくし、そのなかで人は成長し、また前を向いて生きていきます。そういう間違いや迷いを繰り返すことは、決してダメなことじゃない。それがキミを作っている、というふうに僕には聞こえてきます

「君が立つ地面はホラ 360度全て道なんだ」

人生は一本道じゃないし、単純な分かれ道でもない。どの方向に進んだって、キミの人生の道はその先にちゃんとつながっていくんだ。ここには言葉には含まれていないけど「後戻り」だって道のひとつなんだ、というふうにも感じられます。前に進もうが右に進もうが、どんな方向に進んだって、その先に道はあります。そしてその進んだ先にも同じように、360度全て道、なんです。どんな道だっていい、進んでいくことが大切なんだ、という風にも感じます

 

孤独の果てに 立ち止まる時は
水筒のフタを 開ければ
出会いと別れを重ねた
自分の顔が ちゃんと写る

 

その自分が進む道は、決して楽な道だけじゃなく、孤独に進んでいかなければならないことも、多々あります。その孤独感に押しつぶされそうになったり、つらくてたまらなくて、歩くのをやめようとしてしまうことも。そんな立ち止まった時でも、水筒のフタを開けてそこをのぞけば、今まで生きて来た自分がそこに映っています。独りで進む道でも、自分というものをしっかり見つめなおして、また先へ進める。それまであった辛かったこと、後悔、そんなものを背負った自分がそこにいます。なぜここまで進んできたのか、それはそんな失敗、間違い、迷いのなか自分が選んできたからです。その自分を見つめなおして信じればいい、そんな風に思います

 

すれ違う 誰かが 落としていった
涙を数える その度に
「優しくなりたい」と願う
君は 誰よりも
優しい人 ルララ

 

歩いて来た人生のなかで、いろんな出会いや別れがあります。そんななかで見て来たその相手の辛さ、苦しみ、迷い…そんなものを思い出すとき、思うはずです。自分もそうだった、つらさや苦しみ、迷いのなか歩いて来た。だからこそ、他の出会ってきた人たちを助けられたら、その人たちが笑顔でいてくれたら。そんな風に思う気持ち「優しくなりたいと願う」気持ち。そんな気持ちを持てるキミは、誰よりも優しく強い人だよ、と藤原さんはエールを送ってくれます

 

その足に 託された
幾つもの祈りのカケラ達と
叫んでやれ 絞った声で
ここまで来たんだよって 胸張って

Stage of the ground

 

そんな出会ってきた人たちや、何より自分の願った生きて歩いていくことへの未来、希望、でも叶わなかったもの、それが「幾つもの祈りのカケラ達」だと思います

そんな自分だけど、ここまで生きて来た、ここまできたよ、いま元気で進んでいるよ、という言葉を、胸を張って自信を持って叫ぶんだ、たとえ今そう思えなくても、無理矢理でもいい、そうじぶんい言い聞かせてやれ、という感覚

これは「言霊」に通じるのかな、と思います。ダメだ、ダメだ、と言葉にしていくと、どんどん状況が悪くなる…言葉にはその気持ちを引き寄せる力がある、と僕は思います。だからこそ、藤原さんは「絞った声で叫べ ここまで来たんだ」と伝えます

生きて来たんだ、これからだってそうする、という決意表明のような感じ

 

躓いた小石を 集めて歩けたら
君の眼は必ず 再び光るだろう

那由多に広がる宇宙 その中心は小さな君

 

困難に出会って、でもそのたびに這い上がってきた、また進んできた。その躓いた事実をしっかり自分のものにして「集めて」いけば、そういう辛さや逆境が自分の糧となり、そして強く前を向いていける、「君の眼は必ず再び光る」、ひとつ成長して、そして力となりまた前を向いて歩いていこう、という気持ちを奮い立たせてくれるはず

ここで「那由多」という言葉が出てきます

ちょっと本筋と離れますが、この曲はBump of Chickenのメンバー共通の友人にお子さんが生まれ、その子の名前の一部を歌詞のあちこちにちりばめているそうです。この那由多に使われている漢字も、そのひとつらしいです

那由多とは、仏教用語で「非常に大きな数量」という意味のようですが、ここではやはり、「無限に広がる宇宙」というニュアンスで捉えます。また藤原さんは宇宙が大好きなので、こういうところで歌詞の一部に入れてるのだなあ、と僕は思います

そんな「那由多に広がる宇宙」だけど、キミの人生の主役は、キミ自身。自分の人生は人の人生の脇役かもしれないけど、同時に自分の人生の主人公でもあります。どんなに小さな存在であろうと、キミはかけがえのない唯一の存在であり、人生を生きる主人公なのだ、と伝えているように感じます

 

君をかばって 散った夢は
夜空の応援席で 見てる
強さを求められる君が 弱くても
唄ってくれるよ ルララ

 

いろんな挫折があって、苦難があって、諦めた夢。そんな夢であろうとも、自分のココロのなかで、そこにチャレンジした自分はかけがえのない自分です。だからこそ、自分を守るために、生きていくために諦めた夢、散った夢だけど、そんな夢は「夜空の応援席で見てる」いつだって自分の過去、というなかにあり、その諦めた夢があるから今がある、ずっとそれが心の支えになります。それを「応援席で見てる」という表現をしているのかな、と

そんな何度もくじけて倒れそうになった自分、時に弱く儚く、そんななかでも強い気持ちで歩いていかなければ、生きていかなければならない。君は弱いかもしれない。でも過去に諦めた夢たちは、いつだって「唄ってくれるよ」心の支えとして応援してくれているのです

 

あの月も あの星も
全て君の為の 舞台照明
叫んでやれ 絞った声で
そこに君が居るって事

 

そんな人生を、ライブのステージに重ねて歌います。自分は自分が主人公、自分が主役の舞台にいて、人生を生きていて、Stage of the ground、地面のステージに立っています。そんなキミのステージを照らしているのは、「あの月」や「あの星」です。これはなぜ太陽でないのか、というところなのですが、やはり辛さや悩みを抱え、夢を諦め人生を進んでいくという、ある意味「苦悩」のステージなので、夜空に光る月や星なのだろうと思います。そして夜は、必ず朝を迎えます。次のステージ、次のステップの朝が来る前の苦悩、辛さが、夜をイメージしているのだろうと思います

そして、そこで自分は叫ぶのです。無理矢理でいい、言葉にするのです。ここにボクはいるんだ、ここで生きているんだ、と。生きてこの「人生」を歩いているぞ、負けてなんかいないぞ、と

 

迷った日も 間違った日も
ライトは君を照らしていたんだ
君が立つ 地面は ホラ
365日いつだって

Stage of the ground

 

そう、何度も迷って間違って、辛い思いをして苦しい思いをして、そんなときでも、夜空には星が、月が、「君を照らしていたんだ」ずっとそこにあって、見守ってきているんだ、と

そして「君が立つ地面」、今君がいる場所は、それがどんな時であろうと、365日、常にそこは「Stage of the ground」、君の人生の、君が主役の「地面のステージ」なんだと

 

僕自身の勝手な解釈なので、異論もたくさんあるだろうけれど、僕自身はこの曲もやはり、Bump of Chickenの素敵な「人生の応援歌」であると思います

Bump of Chickenの唄は、弱者に寄り添う言葉や想いがちりばめられています

人間はみんなそんなに強くないし、いつも成功してばかりじゃない。失敗や挫折、苦難はそこらじゅうにあって「自分なんかダメだ」と思うそんなキミだろうと、キミはそのままでいいんだ、生きていくこと、前を向いて進んでいけばいいんだ、と背中を押してくれます

そのままでいいんだ、と

その想いが、いろんな人の心に響くのだと思います